♪♪3つの四重唱曲 OP.31♪♪

 1859年ブラームスがハンブルクで女声合唱団を設立し、その活動を通じて数多くの声楽作品を作曲しました。3つの四重唱曲Op.31は、まず1859年に第1曲をゲーテの"Wcchsellied zum Tanze"をテキストとして作曲、1863年にヨーゼフ・ヴェンツィヒ訳によるモラヴィアとボヘミアの民謡をもとにしたNeckerein (からかい)、Der Gang zum Liebchen (恋人の元へ向かう道)の2曲を追加して1863年末に初演、翌年ブライトコップフ社から楽譜が出版されました。

 この作曲の傾向はそれ以前の宗教的な志向から世俗的なものへの変化を示していると言われています。"Wcchsellied zum Tanze"を作曲した時にブラームスはクララ・シューマンに楽譜を送りコメントを求めました。これに対してクララはこの作品全体は心地よい曲だと考えるが最後の部分についてブラームスらしくないのでもう少し違う方法を見つけ出してはどうでしょうというようなコメントを返してきましたが、ブラームスは最終的はそのままにしたというエピソードがあるそうです。 クララのコメントはブラームスの音楽に最も詳しい一人としてブラームスの新しい特徴が異質に見えたとのではないかと言われています。(カールス社 3つの四重唱曲 Op.31の序文より)

 


♪♪4つの四重唱曲 OP.92♪♪

 4つの四重唱曲Op.92は、ブラームスが1884年夏、ミュルツツーシュラークに滞在していた1884年に作曲されました。しかし、第1曲目の”O Schöne  Nachtは、1877年に作曲された曲の改訂版です。

 ”O Schöne  Nacht”の作曲について1977年11月13日に音楽を通じて親しくしていたエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクに「楽譜上の悪趣味な冗談」と告げて ”O Schöne  Nacht”楽譜を送りました。

 このコメントを付け曲を送ったわけはエリザベートがブラームスの歌曲Op.71-4 ”Willst du daß ich geh"(作詞カール・レムケ)について潜在的にエロティックな内容が含まれていために1977年5月にブラームスに対して嘆き非難した経緯があったからです。その詩の内容の一部は次の通りです。

     「野原には風が吹いているよ 愛する人よ愛する人よ 君は望んでいるの、嵐で怖いのに

     この夜に僕が出ていくことを 君は望んでいるの 僕が行ってしまうことを?」

 「楽譜上の悪趣味な冗談」1つは、”O Schöne  Nacht”の冒頭にエリザベートの夫であるハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクが作曲した4声のための「4つのノットトゥルノ」第2曲の冒頭部分を借用したことです。

 

ブラームスの”O Schöne  Nacht”の冒頭

そして、"Der Knabe schleicht zu seiner Liebsten sacht"の譜面に以下の文を皮肉交じりに挿入しました。

 

 「止めろ、親愛なるヨハネス、何をするつもりだ!このようなことは『民謡調』でしか語ってはいけないはずだ、

 それを君はまた忘れてしまった!農夫なら『とどまろうか行こうか』と問うことも許されるが、君は残念ながら農夫ではない!

 金色の輝きに包まれた美しい頭を傷つけるな——さっさと簡単に、こう言いなさい:(”O Schöne  Nacht”反復の始まり)

 

 フォン・ヘルツォーゲンベルク夫妻はブラームスのこの皮肉には苦笑しながらも1877年12月16日の書簡で美しい音楽だと賞賛し、1878年1月19日の私的なコンサートで演奏されました。それ以降、1884年に他の3曲の作曲に並行して"Der Knabe schleicht zu seiner Liebsten sacht"以降の後半部を大幅に改訂し、ベルリンの出版社フリッツ・ジムロックに楽譜を送付し12月に出版され演奏会が行われました。

ブライトコップフの新ブラームス全集による楽譜には、付録として初版の”O Schöne  Nacht”がついています。