♪♪天のいと高きところには神に栄光あれ(Gloria in excelsis Deo) BWV191♪♪

 バッハが200曲以上のドイツ語テキストのカンタータを作曲したのに対してなぜラテン語による曲を作ったのか疑問がわいてきます。

 ルターやカルヴァンが推進したプロテスタントの教会では母国語による賛美が推進されましたが、実際の教会ではラテン語による曲の演奏が残り演奏されたようでキリエ・グローリアおよびサンクトゥスが演奏することがルター派の教会で演奏することが容認されていました。

 バッハはライプツィヒのトマス教会のカントルに就任した1723年に就任後にはサンクトゥスを1曲作曲したのみで他の作曲家の曲を演奏していました。1733年にライプツィヒを管轄していたフリードリヒ・アウグスト2世に献呈する目的でミサ曲(キリエ・グローリア)を作曲しました。これにはバッハがライプツィヒでの自らの立場を強化する政治的意図があったと言われています。ミサ曲(キリエ・グローリア)は1723/24年に作曲したサンクトゥスと合わせ、バッハが死亡する直前に現在の形になり「ミサ曲ロ短調」BWV232となりました。

 ミサ曲を書いた約10年後にバッハはクリスマス第1日のための祝祭音楽としてこのミサ曲のグロリアを素材に楽器編成からファゴットを外し小規模なオーケストラで演奏できるように3曲からなる"Gloria in excelsis Deo"を編集しました。

 第1曲はBWV232のグローリアの第4(4a)曲"Gloriaと第5(4b)曲を使用し、第2曲と第3曲には次の頌栄のラテン語テキストを使用し、

   ”Gloria  Patori et Fillio, et Spiritui Sancto

     Sicut erat principio, et nunc, et semper, et in saecula saeculorum, Amen"

   父と子と聖霊との神に、初めも、今も後も、栄光があるように。

 

 第2曲は”Gloria  Patori et Fillio, et Spiritui Sancto”をテキストに使用しBWV232の第8(7a)Domine Deusを短縮した形に変更しました。

 第3曲はSicut以降のテキストでBWV232の12(9b)Cum Sanctusの最初の部分を第2曲目から調性が変わるためこれを調整するため変更したのものを作り、後半部分はそのまま流用しています。

 

 


♪♪私の「ミサ曲ロ短調」の体験♪♪

 私の、バッハの「ミサ曲ロ短調」との関わりは、学生時代にバッハのカンタータの合唱曲を歌う機会があって、その中にカンタータ「われら汝に感謝す、神よ、われら感謝す」BWV29の第2曲の合唱曲”Wir danken Dir, Gott, wird danken dir”を歌うことになり、この曲がミサ曲ロ短調の”Gratias agimus tibi”と”Dona nobis pacem”に 転用されたことを知り、「ミサ曲ロ短調」とはどんな曲なのかしらと興味を持ったことが始まりでした。

 当時この曲の演奏で評判が高かったのがカール・リヒターが指揮をしたミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団の演奏でした。アルバイトして貯めた金で清水の舞台から飛び降りるような感じでレコードを入手し、その演奏に感動していました。以降、カール・リヒターが指揮をするバッハのレコードを次々と買っていった覚えがあります。

 1969年にリヒターが来日して「ミサ曲ロ短調」と「マタイ受難曲」で大阪フェスティバル・ホールで演奏した時は勿論両方のチケットを入手し、聞きに行き2日共感動の嵐でした。「ミサ曲ロ短調」の冒頭のロ短調の響きは本当に衝撃的でした。

 会社勤めなどで、合唱から遠ざかり、会社を退職し、コードリベット・コールで「ミサ曲ロ短調」を練習していることを知り、入団し2004年に初めて演奏会で歌うことが出来ました。