♪♪ヨハネ受難曲第1曲"Herr, unser Herrscher"について♪♪

 

 ヨハネ受難曲の第1曲は1724年の初稿ではベーレンライター版に記載されているフルートを伴うものではないと言われています。また1725年の演奏ではこの曲ではなく後にマタイ受難曲の第1部の終曲であるコラールに切り替えられますが、1732年の第3稿ではフルートが付け加えられて現在に至っています。

 したがって、第2稿を使用したとの表記がある演奏(例えばヘルヴェヘの1,998年録音盤)では最初に聞こえる曲がマタイ受難曲の第1部の終曲のコラール "O Mensch, bewein dein Sünde groß"となりますので、ベーレンライターの楽譜で曲を知っている人にとってはびっくりすることになります。

 ところで、第1稿も含め第3稿・第4稿に基づくベーレンライター版やカールス版の第1曲は"Herr, unser Herrscher"のダ・カーポ形式の曲となりますがこの曲のダ・カーポを含んだ小節数の153小節に意味があると提唱したのがバッハのカンタータやミサ曲、受難曲の研究家のフリートリヒ・スメントでバッハがカバーラに基づいた数字象徴の曲を数多く作曲としています。例えば3は三位一体、4は大地または四方、7は1週間や天地創造、10は律法、十戒などです。153と言う数字は1から17の数字を足した数字で17は10と7に分けられさらに7は3と4に分けられるので153に意味があると言うのです。

 また、153と言う数字はヨハネ受難曲に用いられた福音書の18章1節の裏切りから19章42節の埋葬の後、イエスの復活を扱った21章でティベリアス湖畔に現れたイエスが弟子たちに「子たちよ、何か食べる物があるか」と問い弟子たちに網をうって漁をしなさいと言い弟子が網を打ち引き上げると153匹の魚が網の中にあったとくだりが書かれています。この153匹と言う数字と第1曲の小節数が153であることにバッハは意識して153小節でこの第1曲を書いたとも言われています。

 

ヨハネによる福音書21章

 1: その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。

 2: シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒

      にいた。

 3: シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込ん

      だ。しかし、その夜は何もとれなかった。

 4: 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかっ た。

 5: イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。

 6: イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網

      を引き上げることができなかった。

 7: イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとっ

      て湖に飛び込んだ。

 8: ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかっ たのである。

 9: さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。

10: イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。

11:  シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破

       れていなかった。

12: イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかっ

        た。主であることを知っていたからである。

13: イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。

14: イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 

♪♪ヨハネ受難曲のコラールについて♪♪

 

 ヨハネ受難曲はの楽曲はヨハネによる福音書にしたがって物語を進行する福音史家・イエス・ピラトなどの登場人物によるレチタティーブと群衆の合唱、一方自由詩によるアリアおよび大きな合唱曲と信仰に対する信条など表現するコラールによって構成されています。 コラールは中世から歌い継がれた聖歌などがルターによる宗教改革によりドイツ語の歌詞をつけたり、新たに作曲がされ讃美歌集が作られ教会で歌われていました。バッハがとヨハネ受難曲で用いたコラールがどのようなルーツを持つものなのかを理解することもヨハネ受難曲を演奏する上で必要なことではないかと思っています。

 

第3曲 "O große Lieb, o Lieb ohn alle Maße"「おお、大いなる愛、はかり知れぬ愛よ」

  この、コラールはヨハン・ヘールマンの15節から成る受難コラール""Herzliebster Jesus, was hast du verbrochen," 「心より愛しまつるイエスよ、どんな罪を犯されたのでしょうか」から第7節をテキストとして使用し。旋律は16世紀から伝えられた古い旋律を元にヨハン・クリューガーが整理まとめたものです。バッハはこの第3曲の他、ヨハネ受難曲では第17曲のコラールで8・9節使用したほか、マタイ受難曲でも第3番のコラールで第1節、第19曲のレチターティーボとコラールで第3節、第46曲のコラールで第4節を使用しています。受難コラールとして書かれたものを2つの受難曲に多く使用したことは当然とも考えられますが「ヨハネ」「マタイ」の第3曲目にヘールマンの受難コラールを使用していることはバッハのこの受難コラールの思いれを感じます。

 

第5曲 "Dein Will geschehen, Herr Gott, zugleich Auf Erden wie im Himmelreich"

         「 主なる神よ、天におけるように地においても御心が行なわれますように」

 

 「主の祈り」に基づいてルターが作った全9節からなるコラール"Vater unser Himmelreich"「天にましますわれらの父よ」の第4節を使用しています。バッハはカンタータ101番、オルガン曲のオルガン小曲集(オルゲル・ビュヒライン)のBWV636、21のコラール前奏曲に含まれるBWV682/683、27のコラール編曲に含まれるBWV737、25のコラール編曲に含まれるBWV762に使用されています。この第5曲のコラールは未完のスコアと呼ばれる改訂が行われた際、ソプラノに経過音の挿入や、アルトパートのgeschehの言葉に動き加えるなどの改定を行いました。第1稿で演奏されたフェルトホーフェン、2稿で演奏されたヘレヴェッヘの演奏では改訂前の状態、未完のスコアを反映した版での演奏(リヒター、ガーディナーなど)は改訂後、しかし未完のスコアの内容を反映していると思われた4稿での演奏(鈴木、ラーデマン)では改訂前に戻っていました。大きな改訂内容を見るとこのような経過音の挿入などの記述はないのですが細かいところで変更がされているようです。

 

第11曲 "Wer hat dich so geschlagen"「我が救い主よ、誰があなたをそのように打ったのですか。」

 このコラールはハインリッヒ・イザーク作曲したと言われている「インスブルックよ、さらば」の旋律を用いテキストとして第3・4節を使っています。調性は違いますがマタイ受難曲の第37曲でも同じこの第3節を用いています。いずれも、大祭司の尋問中にイエスが殴打される場面にこのコラールが歌われます。その他マタイ受難曲では第10曲のコラールで第5節を使っています。

 

第14曲 "Petrus, der nicht denkt zurück, Seinen Gott verneinet"

      「ペテロは主の言葉を思い出すこともなく彼の神を否定してしまった。」

 ヨハネ受難曲の第1部を締めくくるこのコラールはヨハネ・コラールと呼ばれています。パウル・シュトックマンの受難の出来事すべてを含む34節からなるコラール"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第10節をテキストとして使用しています。旋律はメルヒオル・ウルビウスの美しい宗教歌曲集からとられた物だと言われています。ヨハネ受難曲では第20曲のコラールで20節を、第32曲のバスのアリアの中で歌われるコラールでは34節が使用されています。

 

第15曲"Christus, der uns selig macht"「私たちを幸いにして下さるキリストは」

 第2部の開始となるこのコラールは中世のエギディウスによる受難詩「父の知恵」"Patis sapientiae"が元になり、ミヒャエル・ヴァイゼによってドイツ語コラールとなりました。オリジナルの旋律はプレトリウス作と言われていますが、奇数節と偶数節での韻律の違いがあって音楽として成り立たせるため色々な試みがされたようです。バッハはトマス教会の先輩カントルのカルヴィジウス作に依拠してこのコラールを成立させたと言われています。

 

第17曲 "Ach großer König, groß zu allen Zeiten"「ああ偉大な王よ、いつの世にも偉大なる王よ」

 このコラールは第3曲のコラールと同じくヨハン・ヘールマンの15節から成る受難コラール""Herzliebster Jesus, was hast du verbrochen," の8・9節テキストとしています。第3曲のト短調に対してイ短調に変更されています。

 

第22曲 ”Durch dein Gefägnis, Gottes Sohn”「神の御子よ、あなたが捕らわれたことにより」

 このコラールのテキストは既存のコラール集から採られたものではなくクリスティアン・ハインリヒ・ポステルのアリア詩をヨハン・ヘルマン・シャイン作詞・作曲のコラール「神は、あなたの悲しみによって私を扱って下さい」にテキストを当てはめています。

 バッハの研究家フリードリヒ・スメントは、このコラールがヨハネ受難曲の構成の中心にあり曲目の配置がシンメトリーになっていると主張しています。

 

第26曲 "In meines Herzens Grunde"「わたしの心の奥底には」

 このコラールはヴァレーリウス・ヘルベルガ―作詞メルヒオル・テシュナー作曲による"Vater will ich dir geben"「別れの言葉を与えよう」の第3節を用いています。

 

第28曲 "Er nahm alles wohl in acht In der letzten Stunde"

                              「 主は最期の時に臨んでも全てのことに心を配られた。」

 第1部を締めくくった第14曲の作者パウル・シュトックマンの"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第20節をテキストしています。

 

第32曲 "Mein teurer Heiland"「尊い救い主よ、お尋ねしてよろしいでしょうか」

 この曲のテキストはバス・アリア部分とコラール部に分けられます。コラール部分は第14曲・28曲のコラールと同じで"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第30節をテキストとしています。アリア部はバッハの受難曲の作曲に大きな影響を与えた「ブロッケス受難曲」に基づいている言われています。

 

第37曲 "O hilf, Christe, Gottes Sohn, Durch dein bitter Leiden" 

        「神の子キリストよ、助けてください、あなたの痛ましい受難の力によって」

 第2部の冒頭のコラール、エギディウスによる受難詩「父の知恵」"Patis sapientiae"に基づいてミヒャエル・ヴァイゼによってドイツ語コラールの最終節をテキストとしています。15番のコラールはイ短調で書かれていますが37曲は半音高くなっています。イ短調に対して半音高くなれば、♭5つの変ロ短調になります。ところがバッハは♭3つのハ短調で記譜してDおよびGに♭をつけています。これには、バッハのこだわり♭3つで三位一体を表すと言うこだわりがあると言われています。

 

第40曲 "Ach Herr, las dein lieb Engelein"「ああ 主よ、あなたの愛する天使を遣わされ」

 このこのコラールは、第1稿で使用されたものの、1725年2稿では別のコラールに変更され、第3稿では削除され、第39曲の合唱曲が曲全体の締めくくりとなり、未完のスコア・4稿でもとにもどされた経緯があります。最終的にヨハネ受難曲を締めくくることについては「ブロッケス受難曲」の影響があると言われています。

 テキストはマルティン・シャリングのコラール"Herzlich lieb hab ich dich, o Herr"「心から私はあなたを愛します。おお主よ」の第3節が使われています。シャインのコラールをバッハはカンタータ174番に1節、第149番で3節が使われています。また、オルガン曲ではC.P.E.バッハが編集したコラール集に含まれるBWV340、ノイマイスター・コラール集に含まれるBWV1115で使用しています。

 

 

 

これをまとめる当たり、バッハ研究で高名で2018年に不慮の事故でお亡くなりなった磯山雅さんが書かれた「ヨハネ受難曲」を参考にまとめさせていただきました。  

            

 

 

♪♪ヨハネ受難曲の楽譜の変遷(稿)と版について♪♪

 

 ヨハネ受難曲はバッハがライプツィヒのトマス教会カントルに赴任してから初めての受難節に作曲され聖金曜日の1724年4月7日に聖ニコライ教会で初演されました。この演奏会で使用された楽譜が第1稿と呼ばれています。

 以降、受難曲はバッハが亡くなるまで次のように演奏され、都度楽譜の変更ました。

  1725年 トマス教会  第2稿

  1732年 ニコライ教会 第3稿

  1749年 ニコライ教会 第4稿

 また、1739年に未完のスコアと呼ばれるスコアの清書を行いますが、10曲の清書を行った時点で、計画していた演奏会が中止になったことにより清書も中断してしまいました。

 

第1稿

 現在演奏されている形とほぼ変わりませんが、使用楽器の異なり、33曲のレチタティーボはマルコによる福音書の「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」が用いられマタイによる福音書の「地震が起こった」は使用されませんでした。

 ただし、第1稿の楽譜はパート譜が残されており、完全な形での楽譜は残されていません。この第1稿を再現すべく音楽学者が復元作業を行い。ヨス・ファン・フェルトホーフェンの2004年に録音したものはPieter Dirksenが復元した第1稿に基づいて演奏されています。

 

第2稿 1725年

 第2稿は当初「マタイ受難曲」を演奏する予定だったものの作曲が間に合わないという事情で作曲されたと言われています。

  第1曲 後にマタイ受難曲の第1部の終結コラール"O Mensch, bewein' dein Sünde groß"に変更

  第11曲の後に バスのアリアを追加

  第13・19曲 テノールのアリアを別の曲に変更

  第33曲 レチタティーボのテキストを現在の形のマタイによる受難曲の27章51-52

       に変更

  第40曲 コラールを変更(現在カンタータ23番の終曲のコラール)

 

 第2稿はカールスから出版されており、フィリップ・ヘルヴェへの2度目の録音がこの楽譜を使用しています。

 

第3稿 1732年

 1732年の演奏に当たり教会からの指摘などで次のような変更を行っています。

  第1曲 第1稿の "Herr, unser Herrscher"に戻されます。

  第12曲 12Cのペテロの否認後のマタイによる福音書の引用をカット

  第33曲 マタイによる福音書の引用をカットしシンフォニアに変更

  第34・35曲 テノール・ソプラノのアリアをカット

  第40曲 終曲のコラールをカット

 マタイによる福音書の引用をカットしたのはヨハネによる福音に基づかないヨハネ受難曲にならないと言うような教会の指摘が推測されます。

 この3稿による楽譜や演奏はありません。

 

未完のスコア

 1739年に再演を計画しスコアの清書を行っていましたがライプツィヒの市から演奏会中止を要請され第1曲から10曲までで中断しました、

 後に清書は弟子によって第11曲以降終曲までの清書が行われました。

   第9曲 後奏を短縮

   第12・33曲の マタイの引用を復活

   第40曲 第1稿のコラール"Ach Herr, lass dein lieb Engelein"に戻す。

 

第4稿 1749年

 1749年ニコライ教会での演奏を機に未完のスコアより

   第9曲  後奏を元に戻す。

   第9・19・20曲 アリアの歌詞を変更

 第4稿による楽譜はカールスより出版され、鈴木雅明(BCJ)、ハンス・クリストフ ラーデマン(ゲンヒンガー・カントライ)による演奏がCDで出ています。

 

新バッハ全集によるベーレンライター版

 アーサー・メンデル Arthur Mendelの校訂によって1974年に新バッハ全集として出版された楽譜は、10曲目までは「未完のスコア」を採用し、それ以後の曲は適宜別の「稿」のものが用いられています。付録として、第2稿の変更された楽譜および第4稿の情報が掲載されています。

 多くのヨハネ受難曲はこの楽譜によって演奏されています。ヘルヴェッヘは最初の録音でこの楽譜を使用しており、最近リリースされた新録音でもこの楽譜が使用されているようです。

 

旧ナッハ全集による楽譜

 1863年にヴィルヘルム・ルスト Wilhelm Rustの校訂で出版され、「未完のスコア」を忠実に再現したもので、新バッハ全集とは曲の番号のふり方が異なっています。1974年以前に録音されたカール・リヒターの演奏はこの楽譜に基づいたものです。

 新バッハ全集による楽譜とは詳細において異なる部分がありますが大きな違いがありません。

 


♪♪ヨハネ受難曲の中のマタイによる福音書♪♪

 

 バッハのヨハネ受難曲はヨハネによる福音書の第18章と19章をベースに作曲されています。ところがペテロの否認の箇所12番Cのレチタティーボとイエスの死を描いた33番のレチタティーボでマタイによる福音書をテキストとして採用しています。

 

 ヨハネによる福音書ではペテロの3度目の否認し鶏が鳴いた後、イエスはカイアファの所から総督官邸に連れて行かれたと記述されており、淡々と非常にさらっとした記述になっています。バッハは12番Cレチタティーボで下僕がイエスとペテロが一緒にいたことを告発した後、マタイ福音書の26章74と75をテキストとして用いました。

 

  Da verleugnete Petrus abermal. und alsobald krähete der Hahn.

  Da gedachte Petrus an die Worte Jesu und ging hinaus und weinete bitterlich.

 

  ペトロは再び否認すると、鶏が鳴いた。それからペテロはイエスの言葉を思いだし、

  外へ出て行き、激しく泣いた。

 

 ここの音楽は半音階の下降を使用しペテロの慟哭の様子を描写したかのような音楽になっています。バッハはペテロの否認に格別に感情的な表情が必要と考えマタイによる福音書が必要としたのかもしれません。

 

 33番のレチタティーボでは全てマタイによる福音書の27章51と52節をテキストと使用しています。

 

  Und siehe da, der Vorhang im Tempel zerriß in zwei Stück von oben an bis unten aus.

  Und die Erde erbebete, und die Felsen zerrissen, und die Gräber täten sich auf,

  und stunden auf viel Leiber der Heiligen.

 

  そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、

  墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。

 

ここでは2オクターブの16分音符の下降音を使い天変地異を表す音楽を表現しています。

 

 ヨハネによる福音書はイエスの死に関して19章30節で

 

  イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

 

と簡潔に記述されています。マタイによる福音書はイエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と言葉を発し死に至った直後に、天変地異が発生したことを記述しています。バッハはマタイによる福音書の27章51・52節を用いることによりドラマティックな表現をしようとしたのではないか考えられます。

 


♪♪バッハ「ミサ曲 ト長調 BWV236」♪♪

 

 バッハは有名なロ短調のミサ曲以外に4曲のミサ曲を作曲しています。しかし、この4曲のミサ曲は、ルターによる宗教改革以降、教会での礼拝の形態が変わり用いられるラテン語による曲はキリエとグローリアがミサ曲として、サンクトゥスが単独で演奏が許されるという事情によりこれら4曲のミサ曲はルター派ミサ曲とも呼称されています。また、キリエとグローリアのみで構成される小さなミサ曲と意味のミサ・ブレヴィスとも呼称されています。バッハはこれらのミサ曲の作曲を自身のカンタータからのパロディーと言う方式で作曲しました。

 「ミサ曲ト長調」BWV236では次の4つのカンタータから6曲選ばれました。

  第1曲 Kyrie        カンタータ179番「心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを」第1曲

  第2曲 Gloria         カンタータ79番「主なる神は日なり、盾なり」第1曲

  第3曲 Gratias       カンタータ138番「汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ」第4曲

  第4曲 Domie Deus     カンタータ79番「主なる神は日なり、盾なり」第5曲

  第5曲 Quoniam       カンタータ179番「心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを」第3曲

  第6曲 Cum Sancto Spiritu   カンタータ17番「感謝の供えものを献ぐる者は、われを讃う」第1曲

第1曲 Kyrie / カンタータ179番 第1曲

 基本的にはメローディを変更せずKyrie eleison、 Christe eleisonのテキストをあてはめています。 

第2曲 gloria

 カンタータでは2本のホルンによって重奏によって開始されますが、ミサでは、ホルンの部分がソプラノとアルトにあてられ重唱で開始されます。このあと器楽よる合奏が続きます。カンタータでは45小節からテナーから合唱が入りますが、ミサではソプラノに当てられパートの変更などがあります。

第3曲 Gratias / カンタータ138番 第4曲

  基本的にはバスのアリアで同じ調で細かい節回しの変更があるものの、基本的に曲の構造の変更はありません。

第4曲 Domine Deus / カンタータ79番 第5曲

 カンタータではソプラノとバスによる2重唱ですがミサではソプラノとアルトの2重唱に変更され、調性もハ長調からニ長調に変更されています。 

第5曲 Quoniam / カンタータ179番 第3曲

 テノールによるアリアで基本的な変更はありません。

第6曲 Cum Sancto Spiritu / カンタータ17番 第1曲

 カンタータでは器楽合奏による長い導入部がありますが、ミサではこの部分をカットしホモフォニックな7小節のパッセージに変更され、調性もイ長調からト長調に変更されています。

    


♪♪バッハのモテット♪♪

  

 モテットの起源は13世紀以降に発展した世俗的なポリフォニー歌曲にあると言われています。ルネサンス期以後はミサ通常文によらない多声の宗教的声楽曲としての性格が強まり、さかんに作曲され礼拝で演奏されていました。さらに、バロック時代のドイツのプロテスタント教会では、コラールを利用したモテットが作られるようになり、シュッツやシャイン、ローゼンミュラーらはイタリアから入ってきた複合唱様式を採り入れたモテットを作曲しました。

 バッハの時代になって、プロテスタントの主要な礼拝音楽としての地位は教会カンタータに取って代わられ、モテットは副次的な存在になっていたようです。

しかしながら、その存在意義がまだまだありました。第1にライプツィヒでは礼拝音楽として役割を持ち、100年以上も前に作曲された古い曲集『フローリレギウム・ポルテンセ』(1576~1636年)のモテットを礼拝の冒頭に歌っていたと言われています。第2に合唱隊の練習曲としての機能があり、日頃、礼拝で歌っているモテットではバッハの教会カンタータの要求する高度な技巧を身につけるには不十分で、そのため自作のモテットを使って合唱隊を訓練しました。そして第3に、葬儀や慶事など特別な機会に演奏される機会音楽としてのもので、バッハのモテットの最も重要な役割がありました。

 バッハの時代の聖トーマス学校の規定によれば、同校の生徒たちはライプツィヒの一般市民の葬式に参加するという決まりごとがありました。葬儀に参加する生徒の数は遺族が支払う金額によって異なり、賛美歌やモテットが歌われるかはカントルの裁量にまかされていたようです。通常の場合は前述のモテット集の中の曲を演奏し、特別な場合にバッハ自身が作曲したモテットを演奏したと言われています。現在、残っているモテットは6曲ありますが、主の讃美を主題としたBWV225 ”Singet dem Herrn ein neues Lied”とBWV230 “Lobet den Herrn, alle Heiden”をのぞく4曲がこうした葬儀で演奏されたと言われています。BWV227 “Jesu, meine Freude”はライプツィヒの聖ニコライ教会で行われた郵便局長夫人ヨハンナ・マリア・ケースの追悼礼拝のために作曲されたのではないかと言われています。

 


♪♪バッハのモテットとコードリベット・コール♪♪

 

 コードリベット・コールの2019年の教会音楽連続演奏会にバッハのBWV227 ”Jesu,  meine Freude”に取り組みます。コードリベット・コールがバッハのモテットに取り組んだのは意外と遅く1951年に創立して17年経過した1978年からでした。

 

年         作品番号                     演奏曲目

 1 1978  BWV227           Jesu, meine Freude 

 2 1981  BWV225           Singet dem Herrn ein neues Lied

 3 1982  BWV226           Der Geist hilft unser Schwachheit auf

              BWV230            Lobet den Herrn, alle Heiden

 4 1983 BWV227             Jesu, meine Freude

 5 1985 BWV229             Komm, Jesu, komm

 6 1995 BWV228             Fürchte dich nicht, ich bin bei dir

 7 1998 BWV225             Singet dem Herrn ein neues Lied

 8 2005 BWV226            Der Geist hilft unser Schwachheit auf

 9 2008 BWV227            Jesu, meine Freude

10 2011 BWV229             Komm, Jesu, komm

11 2013 BWV230             Lobet den Herrn, alle Heiden

12 2016 BWV225          Singet dem Herrn ein neues Lied

     BWV Anh.159    Ich lasse dich nicht, du segnest mich denn

 

 


♪♪モテット”イエスよ、わが喜び” BWV227の構成♪♪

 

 「イエスよ、わが喜び」はバッハの6つのモテットの中でもっとも大規模な作品で、ヨハン・フランクのテキストにヨハン・クリューガーが作曲した有名なコラール「イエスよ、わが喜び」を主題にしたきわめて緻密に構成された6曲のコラールを展開し、これに新約聖書「ローマ人への手紙」の第8の1・2・9・10・および11節をテキストとして用いた5曲の合唱曲を配し、全部で11曲のモテットとしては極めて異例の大規模な曲となっています。

 

全曲を支配するコラール主題は以下のとおりです。

 バッハはこの主題を基本的な4声体のコラールとして、ソプラノまたはアルトを定旋律としたコラール、コラールの第3節(第5曲)では主題はきわめて巧妙に変奏されており、ちょっと聴いただけではコラール主題があるのか分かり難くなっています。下記の譜例の赤で表示した部分が主題になっています。

全曲を閉じる第6節のコラールの最後が、開始部と同じ、「イエスよ、わが喜び」(Jesu,meine Freude)という言葉で閉じられています。バッハはこれを利用し、モテットの冒頭のコラールと掉尾のコラールを4声体のコラールを配置することによって、楽曲全体で大きな枠が形作られるように構成しています。これはヨハネ受難曲でも用いられた方法でです。

曲の全体を構成を図示すると

 第1曲 4声体コラール 第1節 Jesu, meine Freude 

   第2曲 5声の合唱曲 Es ist nun nichts Verdammliches an denen

     第3曲 コラール第2節(ソプラノ定旋律) Unter deinem Schirmen

       第4曲 ソプラノ・アルトのみ Denn das Gesetz des Geistes

         第5曲 コラール第3節(変奏) Trotz dem alten Drachen

           第6曲 フーガ Ihr aber seid nicht fleischlich

         第7曲 コラール第4節(ソプラノ定旋律) Weg mit allen Schätzen!

       第8曲 アルト・テノール・バスのみ So aber Christus in euch ist

     第9曲 コラール第5節(アルト定旋律) Gute Nacht, o Wesen

   第10曲 5声の合唱曲 So nun der Geist des 

 第11曲 4声体コラール第6節 Weicht, ihr Trauergeister

 

第6曲のフーガを中心に対照的な配列第1と第11、2と10、3と9、4と8、5と7になっていることが分かります。また第6曲フーガのテキストは”あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます”と言う信仰の核心となっています。


♪♪モテット”イエスよ、わが喜び” BWV227のの演奏形態♪♪

 

 バッハの6つのモテットの中で器楽のパート譜が残っているのはBWV226 “Der Geist Hilft unser Schwacheit auf”のみです。また、BWV230 “Lobet denHerrn, alle Heiden”の出版楽譜に楽器を伴ってというコンストゥルメンティという言葉が記載されている出版楽譜が発見されており、ベーレンライターの楽譜にはオルガンと記された伴奏譜が載せられていることはご存じだと思います。その他の曲は器楽のパート譜は存在していません。

 パレストリーナのモテットの影響もあり、バッハのモテットもア・カペラで演奏されることもあったのですが、バロック時代においてコラ・パルテ(Colla Parte)と言って楽譜の主声部のリズム・テンポに沿って器楽の伴奏する習わしがあたったことから1960年頃からこのコラ・パルテ方式での演奏方式での演奏が多くなっているようです。

 私の所有しているディスクでも”Jesu, meine Freide”では、ヒリヤード・アンサンブルのみがア・カペラで演奏していますが、ガーディナー/モンテヴェルディが第4曲と9曲をア・カペラで演奏しその他の曲はコラ・パルテで、クリストファーズ/ザ・シックスティーンが第4曲のみをア・カペラで演奏、他の曲はコラ・パルテで演奏しています。アーノンクール/スコットランド・バッハ合唱団、リリング/ゲヒンガ―・カントライ、ニコル・マット/ヨーロッパ室内合唱団、鈴木雅明/BCJは全曲コラ・パルテで演奏しています。また、新・旧のヘルヴェッヘ、ユングヘーネル、ヤーコブスはソリストによる演奏ですがコラ・パルテで演奏していました。

 と言うことで、最近の演奏形態は器楽の伴奏を伴うコラ・パルテが主流となっていると言えるのではないでしょうか。

 


♪♪BWV Anh.とは何?♪♪

 

 2016年末のJVC国際協力コンサートで演奏予定のJ.S.バッハのモテット "Ich lasse dich nicht, du segnest mich denn"(われを祝福せずば汝を放さず)BWV Anh.159ですが、BWV番号の後にAnh.と言うアルファベットが続いています。これは「追加」または「補遺」の意味をもつドイツ語のAnhangの略ですが、さらに「偽作」の意味があります。このモテットはJ.S.バッハの楽譜帳にこのモテットの終曲のコラールとして"Warum betrubst du mich, mein Preis" BWV421と共に発見されたため、J.S.バッハの作として扱われたのですが、発見後の研究によりヨハン・クリストフ・バッハが作曲したものであることが判明しました。しかし、J.S.バッハの作曲として親しまれていたことからBWVの後にAnh.を付加して通常のBWV番号の曲とは区別されています。

 この曲に関して偽作と言う言葉が付加されていますが非常にいい曲です。

 

補足:"Ich lasse dich nicht, du segnest mich denn"(われを祝福せずば汝を放さず)BWV Anh.159は近年の研究でワイマールさらに遡ったミュールハウゼン時代(カンタータ106番Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit(神の時こそいと良き時)を作曲した頃)のJ.S.バッハ自身の作曲であると言う説が有力になっているそうです。

  


♪♪讃美歌「まぶねのかたえに」♪♪

 

 讃美歌21に含まれる「まぶねのかたえに」の原曲はG.C.シェメッリとJ.S.バッハが協力してまとめたシェメッリ歌曲集に"Ich Steh' an deiner Krippen hier" BWV469として含まれています。この曲集は、古くから歌い継がれているコラールやアリアをまとめたものでバッハがオルガン伴奏、通奏低音を加えたり必要な場合は作曲を行ったことによりバッハ作品番号が割り付けられています。その中に確実にバッハ自身が作曲したのものは3曲のみであると判明しており、讃美歌21では「まぶねのかたえ」はバッハ作曲となっていま、真偽のほどは分かっていません。

 

 余談ですが、"Ich Steh' an deiner Krippen hier"のドイツ語テキストは「血しおしたたる」"O Haupt voll Blut und Wunden"の作者であるP.ゲルハルトによるものです。このテキストをバッハは私たち合唱団とって身近なバッハのクリスマス・オラトリオの第6部の59番のコラールに使っています。

 

 


  ♪♪クリスマス・オラトリオとコードリベット・コール♪♪

      

 櫻井吉明氏により1951年に創立されたコードリベット・コールは教会音楽を中心として活動を続けていましたが、バッハの合唱曲への取り組みは大きな目標でした。

 1960年代になり世の中で多くの合唱団においてクリスマスにヘンデルの「メサイア」を演奏するのが一般化する中、「メサイア」がキリストの誕生から受難・死そして復活と言う内容からクリスマスにはバッハの「クリスマス・オラトリオ」の方が相応しいとの櫻井先生のお考えにより1965年に毎年末の演奏を決められました。

 

 「クリスマス・オラトリオ」への当初の取り組みは「誰にでも意味の分かる音楽を」の主旨のもと日本語による演奏を行うこととして、翻訳には日本讃美歌学会の故竹内信牧師を中心に当時団員の故五十嵐氏、現団員のバスのOさんにより行われ、櫻井先生がまとめられました。

 はじめての演奏会は1967年12月ピアノ伴奏で第1部~第3部を演奏しました。1969年から朝日新聞厚生事業団の歳末助け合い事業の一環として、フェスティバルホールでオーケストラ伴奏による演奏を行うことになり、1971年からはテレマン室内合奏団との共演が始まりました。

 1984年に櫻井先生がお亡くなりになり演奏継続の危機に見舞われましたが、1986年に指揮者にオーボエ奏者でバッハ演奏の権威ヴィンシャーマン氏を迎え、ドイツ語による演奏に取り組み継続の危機を乗り越えることになりました。以来、ドイツ語による演奏を行い、1992年まで年末の演奏会を継続しました。

 新たなバッハへの挑戦として1993年「マタイ受難曲」、1996年「ミサ曲ロ短調」への取り組みを行い「クリスマス・オラトリオ」の年末の演奏会開催をやむなく中断しました。1994年に日本国際ボランティア・センター主催の国際協力コンサートに参加することになり、当初ヘンデルの「メサイア」を年末に演奏することになりました。1997年からは「クリスマス・オラトリオ」の演奏を行うことができるようになり、櫻井先生の意思を隔年ながら引き継ぐことができるようになり今日に至っています。 

 

演 奏 年 表

  年月 主催 指揮者 演奏曲目
1 1967.12 自主公演 櫻井吉明 日本語1・2・3
2 1968.12 自主公演 櫻井吉明 日本語1・2・3
3 1969.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
4 1970.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
5 1971.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
6 1972.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
7 1973.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
8 1974.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
9 1975.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
10 1976.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
11 1977.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
12 1978.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
13 1979.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
14 1980.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
15 1981.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
16 1982.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
17 1983.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 日本語1・2・3・クリスマス曲集
18 1984.12 朝日新聞厚生文化事業団 前田幸一郎 日本語1・2・3・クリスマス曲集
19 1985.12 朝日新聞厚生文化事業団 前田幸一郎 日本語1・2・3・クリスマス曲集
20 1986:12 朝日新聞厚生文化事業団 ヘルムート・ヴィンシャーマン 1-6一部カットあり
21 1987.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3・6
22 1988.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3 KantateBWV61Nun komm
23 1989.12 朝日新聞厚生文化事業団 黒岩英臣 1・2・3・4(36/37/39/42)・6(54-57/63/64)
24 1990.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1(1-5)・2(16/17/20-23)・4・5・6
25 1991.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3・4・5・6全曲
26 1992.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3 Hodie Christus natus est
Cantate domino
27 1997:12 JVC ジョフリー・リンク 1・2・3・4(39)・5(43)・6(56/57/59/63/64)
28 1999:12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4
29 2001:12 JVC ローランド・ジョンソン 1・2・3・4
30 2003:12 JVC タリエ・クヴァム 1・2・3・4・5(43)・6(56/57/63/64)
31 2005:12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4
32 2008:12 JVC ライダル・ハウゲ 1・2・3・5・6(55/56/57/63/64)
33 2010:12 JVC ポール・ポリヴィニック 1・2・3・5(43カット)・6
34 2012:12 JVC バーナービー・スミス 1・2・3・4
35 2013:1 JVC 延原武春 (1)・4・5・6
36 2014:12 JVC マノイ・カンプス 1・2・3 Magnificat BWV243
37 2016:12 JVC 青木洋也 1・5・6 Singet BWV225・BWV Anh159
Hodie Christus natus est
38 2018.12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4

  

 

♪♪クリスマス・オラトリオの成立♪♪

       

 バッハは1723年から1750年に世を去るまでにライプツィヒのトマス教会のカントルの地位にありました。その地位はトマス教会付属学校の音楽教師でしたが、毎週日曜日ライプツィヒの2大教会であるトマス教会とニコライ教会の礼拝に用いられた教会カンタータや特定の祝日用の音楽の作曲と演奏もバッハの仕事でした。

 

 クリスマスというと12月25日だけを指すと思われがちですが、当時の教会では12月25~27日(クリスマス第1~3祝日)、元日(キリスト割礼の祝日)、顕現節(1月6日)を一連のクリスマス期間とし、それぞれの祝日に礼拝と共にカンタータが演奏されました。この期間に日曜日が入る場合には、その日曜日にも礼拝とカンタータが演奏されました。この期間少ない年で5日分、多い年で7日分のカンタータが必要で、「クリスマス・オラトリオ」を作曲した1734年以前にも数多くのクリスマス期間用のカンタータが作曲されました。

 

 1733年頃バッハは教会暦の主要な祝祭のためにオラトリオを書くことを考えていました。「クリスマス・オラトリオ」は、この最初の作品となりました。オラトリオと題されているものの、作品を通したドラマの流れを追うオラトリオではなくクリスマス期間の祝日(クリスマス第1~3祝日、割礼節、顕現節)とその年、新年第1日曜日となった1月2日用の独立した6つのカンタータの集合体であり、それぞれの日に演奏することを意図した作品です。作品の話は、イエスの誕生、天使によるお告げ、羊飼いたちの礼拝、命名、東方三博士についての聖書の記述であり、6祝日に分けて演奏されるにもかかわらず内容的な統一が図られています。

 

 しかし、作曲が行われたのは1734年10月から12月25日までの間と推定されていますが、この短い期間にレチタティヴォ、コラールを含む64曲をどうやって作曲できたのでしょうか。

 

♪♪クリスマス・オラトリオの作曲方法♪♪

 

 バッハが6部のカンタータで構成される全64曲からなる作品を10月からクリスマスまでの短い期間で作曲できたのは、既存曲の全部または一部に新しい歌詞をあてはめて、再構成するパロディーによって多くの曲を作曲したからです。

 

原曲となった曲は次の通りです。

 ①カンタータ BWV213 「我らに任せ、見張りをさせよ」

   1733年ザクセン選挙候の息子の誕生を祝うために作曲し、13曲中6曲を

   転用しました。

          カンタータBWV213                     クリスマス・オラトリオ

  第1曲合唱                               第36曲(4部)合唱

     Laß uns sorgen                 Fallt mit Danken  

  第3曲アリア(soprano)             第19曲(2部)アリア(alto) 

             Schlafe, mein Liebster        Schlafe, mein Liebster   

  第5曲アリア(alto)         第39曲(4部)アリア(Soprano) 

       Treues Echo,                       Flösst, mein Heiland

  第7曲アリア(Tenor)                 第41曲(4部)アリア(Tenor)

            Auf meinen Flügeln                Ich will nur dir zu Ehren

  第9曲アリア(Alto)                 第4曲(1部)アリア(Alto)

      Ich will dich nicht   Bereite dich, Zion

      第11曲デュエット(Alto,Tenor)   第29曲(3部)デュエット(Soprano, Baß)

            Ich bin deine                         Herr, dein Mitleid,

 

  ②カンタータ BWV214 「太鼓よ轟け、ラッパよ響け」

  1733年ザクセン選挙候妃の誕生日を祝うため作曲し、全9曲中4曲を転用しました。

         カンタータBWV214                    クリスマス・オラトリオ

   第1曲合唱                              第1曲(1部)合唱

             Tönet, ihr Pauken!               Jauchzet, frohlocket 

   第5曲アリア(Alto)                 第15曲(2部)(Tenor)

                Fromme Musen                    Frohe Hirten, eilt, ach eilet

   第7曲アリア(Bass)                第8曲(1部)(Bass)

               Kron und Preis                       Großer Herr, o starker König

   第9曲合唱        第24曲(3部)合唱

      Blühet, ihr Linden    Herrscher des Himmels, 

 

 ③カンタータ BWV215 「恵まれし、ザクセンよ、汝の幸をたたえよ」

   1734年にザクセン候のポーランド王位戴冠1周年を記念に作曲し、

   第7曲のアリア(Soprano)"Durch die von Eifer"を第5部47曲(Bass)

      "Erleucht' auch meine finstre Sinnen"に転用しました。

 

 ④マルコ受難曲 BVW247

  「マルコ受難曲」は1731年に作曲されたが多くを歌詞を除き消失しましたが、

   この中で合唱曲"Pfui Dich, Wie Fein Zerbrichst Du"れが第5部第45曲

   "Wir haben seinen Stern"に転用されたことが判明しています。

 

 ⑤カンタータ BWV248a

   このカンタータはパート譜の一部を除いて失われたもので資料研究により存在が確認され全7曲のすべてを

   第6部に転用されたことが判明しています。

 

 ⑥原曲不明

   第43曲の合唱と第51曲のアリア(3重唱)もパロディーであることが判明しています。

 

 既存の作品に新たな歌詞をあてはめ、新しい作品をつくるパロディーはバロック時代に広く行われていました。教会暦にしたがって数多くのカンタータを作らなければならなかったライプツィヒに着任した頃であれば時間に追われて、パロディーを多用することは考えられますが、作曲数がうんと少なくなった頃に作曲された「クリスマス・オラトリオ」に何故、パロディーを使ったのでしょうか。

 BWV213,214,215などの世俗カンタータは、ザクセン公にまつわる慶祝の機会に使われ、原則として1回限りしか演奏されなかったのに対し、宗教曲に変更すれば教会暦が巡ってくればまた使うことが出来るという事情と教会暦の主要な祝祭のためにオラトリオを書こうという考えが合致、あるいは世俗カンタータを作曲した時からオラトリオに書き換えることを意図していたかもしれないと言われています。

 パロディーは、ミサ曲ロ短調でも行われており、作品の価値を下げるものではなく、さらに価値をあげるものです。

 

♪♪クリスマス・オラトリオの歌詞と構成♪♪

       

 「クリスマス・オラトリオ」は他のオラトリオ、受難曲、カンタータと同じように、

    ①聖書の言葉、

    ②讃美歌(コラール)、

    ③自由詩

 から構成されています。

 

①聖書の言葉

  バッハの教会音楽はすべて典礼と固く結びついており、主にレチタティーヴに用いられます。「クリスマス・オラトリオ」のイエスの誕生、天使によるお告げ、羊飼いたちの礼拝、命名、東方三博士についてルカ伝・マタイ伝から採られています。しかし、教会典礼で朗読される聖句と次のように相違があります。

  クリスマス第1日 

     福音書朗読 ルカⅡ,1-14    オラトリオ   ルカⅡ,1,3~7

  クリスマス第2日

     福音書朗読 ルカⅡ,15~20     オラトリオ  ルカⅡ,8~14

  クリスマス第3日

     福音書朗読 ヨハネⅠ1~14    オラトリオ     ルカⅡ,15~20

  割礼節(元日)

     福音書朗読 ルカⅡ,21     オラトリオ  ルカⅡ,21

  新年第1日曜日

     福音書朗読 マタイⅡ,13~20     オラトリオ   マタイⅡ,1~6

  顕現節(1月6日)

     福音書朗読 マタイⅡ,1~12      オラトリオ   マタイⅡ,7~12

 

②讃美歌(コラール)

 「クリスマス・オラトリオ」には、複数回登場するコラール旋律が3種あります。

  (1) Herzlich tut mich verlangen:

            第1部第5曲及び第6部第64曲(終曲)

     H.L.ハスラーが作曲した五声部の合唱曲はクリストフ・クノールの"Herzlich tut mich verlangen"の旋律として

    用いられました。さらに、 P.ゲルハルトの「血しおしたたる」"O Haupt voll Blut und Wunden"に用いられ、バッ

    ハは「マタイ受難曲」で5度も使用し「受難コラール」と 呼称され、「クリスマス・オラトリオ」では第1部の最初

    のコラールと第6部終曲のコラールとして使われています。

     「クリスマス・オラトリオ」を監修したA.デュア(デュル)は否定しているようですがキリストの受難を予告し

    ているのではないと思ってしまいます。 

  (2)Gelobet seist du, Jesu Christ:

               第1部第7曲及び第3部第28曲

     M.ルター作詞・作曲のクリスマス用コラールで、第7曲はバスのレチタティーヴと掛け合いでコラール旋律が現

    れます。 

  (3)Von Himmel hoch, da komm' ich her:

               第1部第9曲、第2部第17曲及び第23曲

         M. ルター作詞作曲のクリスマス用コラールで、『高き御空よりわれは来れり』として知られています。

 

③自由詩

  合唱曲とアリアに用いられるテキストを作詞した人物は明らかにはなっていません。しかし、「マタイ受難曲」の作詞

 を行いバッハと関係が深く「カンタータBWV213《我らに任せ、見張りをさせよ》の作詞をしたピカンダーではないかと

 言われています。

  それは、「クリスマス・オラトリオ」の合唱曲とアリアの多くの楽曲はパロディーであることから、原曲を知った上で

 オラトリオの楽曲に詩をつけなければならないからで、ピカンダーはBWV213の作詞者であり、全部の作詞は行っていな

 くともバッハと共同で作詞しなければ短期間での完成は出来なかったのではないでしょうか。