♪♪クリスマス・オラトリオとコードリベット・コール♪♪

      

 櫻井吉明氏により1951年に創立されたコードリベット・コールは教会音楽を中心として活動を続けていましたが、バッハの合唱曲への取り組みは大きな目標でした。

 1960年代になり世の中で多くの合唱団においてクリスマスにヘンデルの「メサイア」を演奏するのが一般化する中、「メサイア」がキリストの誕生から受難・死そして復活と言う内容からクリスマスにはバッハの「クリスマス・オラトリオ」の方が相応しいとの櫻井先生のお考えにより1965年に毎年末の演奏を決められました。

 

 「クリスマス・オラトリオ」への当初の取り組みは「誰にでも意味の分かる音楽を」の主旨のもと日本語による演奏を行うこととして、翻訳には日本讃美歌学会の故竹内信牧師を中心に当時団員の故五十嵐氏、現団員のバスのOさんにより行われ、櫻井先生がまとめられました。

 はじめての演奏会は1967年12月ピアノ伴奏で第1部~第3部を演奏しました。1969年から朝日新聞厚生事業団の歳末助け合い事業の一環として、フェスティバルホールでオーケストラ伴奏による演奏を行うことになり、1971年からはテレマン室内合奏団との共演が始まりました。

 1984年に櫻井先生がお亡くなりになり演奏継続の危機に見舞われましたが、1986年に指揮者にオーボエ奏者でバッハ演奏の権威ヴィンシャーマン氏を迎え、ドイツ語による演奏に取り組み継続の危機を乗り越えることになりました。以来、ドイツ語による演奏を行い、1992年まで年末の演奏会を継続しました。

 新たなバッハへの挑戦として1993年「マタイ受難曲」、1996年「ミサ曲ロ短調」への取り組みを行い「クリスマス・オラトリオ」の年末の演奏会開催をやむなく中断しました。1994年に日本国際ボランティア・センター主催の国際協力コンサートに参加することになり、当初ヘンデルの「メサイア」を年末に演奏することになりました。1997年からは「クリスマス・オラトリオ」の演奏を行うことができるようになり、櫻井先生の意思を隔年ながら引き継ぐことができるようになり今日に至っています。 

 

演 奏 年 表

  年月 主催 指揮者 演奏曲目
1 1967.12 自主公演 櫻井吉明 日本語1・2・3
2 1968.12 自主公演 櫻井吉明 日本語1・2・3
3 1969.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
4 1970.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
5 1971.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
6 1972.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
7 1973.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・4・6(54/63/64)
8 1974.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
9 1975.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
10 1976.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
11 1977.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
12 1978.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
13 1979.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
14 1980.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
15 1981.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
16 1982.12 朝日新聞厚生文化事業団 櫻井吉明 日本語1・2・3・クリスマス曲集
17 1983.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 日本語1・2・3・クリスマス曲集
18 1984.12 朝日新聞厚生文化事業団 前田幸一郎 日本語1・2・3・クリスマス曲集
19 1985.12 朝日新聞厚生文化事業団 前田幸一郎 日本語1・2・3・クリスマス曲集
20 1986:12 朝日新聞厚生文化事業団 ヘルムート・ヴィンシャーマン 1-6一部カットあり
21 1987.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3・6
22 1988.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3 KantateBWV61Nun komm
23 1989.12 朝日新聞厚生文化事業団 黒岩英臣 1・2・3・4(36/37/39/42)・6(54-57/63/64)
24 1990.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1(1-5)・2(16/17/20-23)・4・5・6
25 1991.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3・4・5・6全曲
26 1992.12 朝日新聞厚生文化事業団 延原武春 1・2・3 Hodie Christus natus est
Cantate domino
27 1997:12 JVC ジョフリー・リンク 1・2・3・4(39)・5(43)・6(56/57/59/63/64)
28 1999:12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4
29 2001:12 JVC ローランド・ジョンソン 1・2・3・4
30 2003:12 JVC タリエ・クヴァム 1・2・3・4・5(43)・6(56/57/63/64)
31 2005:12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4
32 2008:12 JVC ライダル・ハウゲ 1・2・3・5・6(55/56/57/63/64)
33 2010:12 JVC ポール・ポリヴィニック 1・2・3・5(43カット)・6
34 2012:12 JVC バーナービー・スミス 1・2・3・4
35 2013:1 JVC 延原武春 (1)・4・5・6
36 2014:12 JVC マノイ・カンプス 1・2・3 Magnificat BWV243
37 2016:12 JVC 青木洋也 1・5・6 Singet BWV225・BWV Anh159
Hodie Christus natus est
38 2018.12 JVC ヨス・ファン・フェルトホーフェン 1・2・3・4

  

 

♪♪クリスマス・オラトリオの成立♪♪

       

 バッハは1723年から1750年に世を去るまでにライプツィヒのトマス教会のカントルの地位にありました。その地位はトマス教会付属学校の音楽教師でしたが、毎週日曜日ライプツィヒの2大教会であるトマス教会とニコライ教会の礼拝に用いられた教会カンタータや特定の祝日用の音楽の作曲と演奏もバッハの仕事でした。

 

 クリスマスというと12月25日だけを指すと思われがちですが、当時の教会では12月25~27日(クリスマス第1~3祝日)、元日(キリスト割礼の祝日)、顕現節(1月6日)を一連のクリスマス期間とし、それぞれの祝日に礼拝と共にカンタータが演奏されました。この期間に日曜日が入る場合には、その日曜日にも礼拝とカンタータが演奏されました。この期間少ない年で5日分、多い年で7日分のカンタータが必要で、「クリスマス・オラトリオ」を作曲した1734年以前にも数多くのクリスマス期間用のカンタータが作曲されました。

 

 1733年頃バッハは教会暦の主要な祝祭のためにオラトリオを書くことを考えていました。「クリスマス・オラトリオ」は、この最初の作品となりました。オラトリオと題されているものの、作品を通したドラマの流れを追うオラトリオではなくクリスマス期間の祝日(クリスマス第1~3祝日、割礼節、顕現節)とその年、新年第1日曜日となった1月2日用の独立した6つのカンタータの集合体であり、それぞれの日に演奏することを意図した作品です。作品の話は、イエスの誕生、天使によるお告げ、羊飼いたちの礼拝、命名、東方三博士についての聖書の記述であり、6祝日に分けて演奏されるにもかかわらず内容的な統一が図られています。

 

 しかし、作曲が行われたのは1734年10月から12月25日までの間と推定されていますが、この短い期間にレチタティヴォ、コラールを含む64曲をどうやって作曲できたのでしょうか。

 

♪♪クリスマス・オラトリオの作曲方法♪♪

 

 バッハが6部のカンタータで構成される全64曲からなる作品を10月からクリスマスまでの短い期間で作曲できたのは、既存曲の全部または一部に新しい歌詞をあてはめて、再構成するパロディーによって多くの曲を作曲したからです。

 

原曲となった曲は次の通りです。

 ①カンタータ BWV213 「我らに任せ、見張りをさせよ」

   1733年ザクセン選挙候の息子の誕生を祝うために作曲し、13曲中6曲を

   転用しました。

          カンタータBWV213                     クリスマス・オラトリオ

  第1曲合唱                               第36曲(4部)合唱

     Laß uns sorgen                 Fallt mit Danken  

  第3曲アリア(soprano)             第19曲(2部)アリア(alto) 

             Schlafe, mein Liebster        Schlafe, mein Liebster   

  第5曲アリア(alto)         第39曲(4部)アリア(Soprano) 

       Treues Echo,                       Flösst, mein Heiland

  第7曲アリア(Tenor)                 第41曲(4部)アリア(Tenor)

            Auf meinen Flügeln                Ich will nur dir zu Ehren

  第9曲アリア(Alto)                 第4曲(1部)アリア(Alto)

      Ich will dich nicht   Bereite dich, Zion

      第11曲デュエット(Alto,Tenor)   第29曲(3部)デュエット(Soprano, Baß)

            Ich bin deine                         Herr, dein Mitleid,

 

  ②カンタータ BWV214 「太鼓よ轟け、ラッパよ響け」

  1733年ザクセン選挙候妃の誕生日を祝うため作曲し、全9曲中4曲を転用しました。

         カンタータBWV214                    クリスマス・オラトリオ

   第1曲合唱                              第1曲(1部)合唱

             Tönet, ihr Pauken!               Jauchzet, frohlocket 

   第5曲アリア(Alto)                 第15曲(2部)(Tenor)

                Fromme Musen                    Frohe Hirten, eilt, ach eilet

   第7曲アリア(Bass)                第8曲(1部)(Bass)

               Kron und Preis                       Großer Herr, o starker König

   第9曲合唱        第24曲(3部)合唱

      Blühet, ihr Linden    Herrscher des Himmels, 

 

 ③カンタータ BWV215 「恵まれし、ザクセンよ、汝の幸をたたえよ」

   1734年にザクセン候のポーランド王位戴冠1周年を記念に作曲し、

   第7曲のアリア(Soprano)"Durch die von Eifer"を第5部47曲(Bass)

      "Erleucht' auch meine finstre Sinnen"に転用しました。

 

 ④マルコ受難曲 BVW247

  「マルコ受難曲」は1731年に作曲されたが多くを歌詞を除き消失しましたが、

   この中で合唱曲"Pfui Dich, Wie Fein Zerbrichst Du"れが第5部第45曲

   "Wir haben seinen Stern"に転用されたことが判明しています。

 

 ⑤カンタータ BWV248a

   このカンタータはパート譜の一部を除いて失われたもので資料研究により存在が確認され全7曲のすべてを

   第6部に転用されたことが判明しています。

 

 ⑥原曲不明

   第43曲の合唱と第51曲のアリア(3重唱)もパロディーであることが判明しています。

 

 既存の作品に新たな歌詞をあてはめ、新しい作品をつくるパロディーはバロック時代に広く行われていました。教会暦にしたがって数多くのカンタータを作らなければならなかったライプツィヒに着任した頃であれば時間に追われて、パロディーを多用することは考えられますが、作曲数がうんと少なくなった頃に作曲された「クリスマス・オラトリオ」に何故、パロディーを使ったのでしょうか。

 BWV213,214,215などの世俗カンタータは、ザクセン公にまつわる慶祝の機会に使われ、原則として1回限りしか演奏されなかったのに対し、宗教曲に変更すれば教会暦が巡ってくればまた使うことが出来るという事情と教会暦の主要な祝祭のためにオラトリオを書こうという考えが合致、あるいは世俗カンタータを作曲した時からオラトリオに書き換えることを意図していたかもしれないと言われています。

 パロディーは、ミサ曲ロ短調でも行われており、作品の価値を下げるものではなく、さらに価値をあげるものです。

 

♪♪クリスマス・オラトリオの歌詞と構成♪♪

       

 「クリスマス・オラトリオ」は他のオラトリオ、受難曲、カンタータと同じように、

    ①聖書の言葉、

    ②讃美歌(コラール)、

    ③自由詩

 から構成されています。

 

①聖書の言葉

  バッハの教会音楽はすべて典礼と固く結びついており、主にレチタティーヴに用いられます。「クリスマス・オラトリオ」のイエスの誕生、天使によるお告げ、羊飼いたちの礼拝、命名、東方三博士についてルカ伝・マタイ伝から採られています。しかし、教会典礼で朗読される聖句と次のように相違があります。

  クリスマス第1日 

     福音書朗読 ルカⅡ,1-14    オラトリオ   ルカⅡ,1,3~7

  クリスマス第2日

     福音書朗読 ルカⅡ,15~20     オラトリオ  ルカⅡ,8~14

  クリスマス第3日

     福音書朗読 ヨハネⅠ1~14    オラトリオ     ルカⅡ,15~20

  割礼節(元日)

     福音書朗読 ルカⅡ,21     オラトリオ  ルカⅡ,21

  新年第1日曜日

     福音書朗読 マタイⅡ,13~20     オラトリオ   マタイⅡ,1~6

  顕現節(1月6日)

     福音書朗読 マタイⅡ,1~12      オラトリオ   マタイⅡ,7~12

 

②讃美歌(コラール)

 「クリスマス・オラトリオ」には、複数回登場するコラール旋律が3種あります。

  (1) Herzlich tut mich verlangen:

            第1部第5曲及び第6部第64曲(終曲)

     H.L.ハスラーが作曲した五声部の合唱曲はクリストフ・クノールの"Herzlich tut mich verlangen"の旋律として

    用いられました。さらに、 P.ゲルハルトの「血しおしたたる」"O Haupt voll Blut und Wunden"に用いられ、バッ

    ハは「マタイ受難曲」で5度も使用し「受難コラール」と 呼称され、「クリスマス・オラトリオ」では第1部の最初

    のコラールと第6部終曲のコラールとして使われています。

     「クリスマス・オラトリオ」を監修したA.デュア(デュル)は否定しているようですがキリストの受難を予告し

    ているのではないと思ってしまいます。 

  (2)Gelobet seist du, Jesu Christ:

               第1部第7曲及び第3部第28曲

     M.ルター作詞・作曲のクリスマス用コラールで、第7曲はバスのレチタティーヴと掛け合いでコラール旋律が現

    れます。 

  (3)Von Himmel hoch, da komm' ich her:

               第1部第9曲、第2部第17曲及び第23曲

         M. ルター作詞作曲のクリスマス用コラールで、『高き御空よりわれは来れり』として知られています。

 

③自由詩

  合唱曲とアリアに用いられるテキストを作詞した人物は明らかにはなっていません。しかし、「マタイ受難曲」の作詞

 を行いバッハと関係が深く「カンタータBWV213《我らに任せ、見張りをさせよ》の作詞をしたピカンダーではないかと

 言われています。

  それは、「クリスマス・オラトリオ」の合唱曲とアリアの多くの楽曲はパロディーであることから、原曲を知った上で

 オラトリオの楽曲に詩をつけなければならないからで、ピカンダーはBWV213の作詞者であり、全部の作詞は行っていな

 くともバッハと共同で作詞しなければ短期間での完成は出来なかったのではないでしょうか。